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PTSDと複雑性PTSDについて
― 「心身の影響」を理解するために ―

私たちは本来、社会的な存在として生まれてきます。

子どものころから、人の表情や声、温もりによって安心を感じ、人とのつながりの中で心と身体が育っていきます。

そのため、孤立・拒絶・いじめ・仲間外れ、虐待といった出来事は、脳にとっては“生存の危機”として感じられます。

社会的なつながりが脅かされることは、原始的なレベルで“命の危険”に近いストレスなのです。

 

 

【心が危険を感じたときの脳の反応】

脳と身体には、危険を察知すると自動的に働く防衛システムがあります。

それが「闘う(fight)・逃げる(flight)・凍りつく(freeze)」という反応です。

 

これは意志や性格ではなく、生き延びるための生理的な反応です。

たとえば、

・強い恐怖やショックの瞬間に、体が固まって動けなくなる

・思い出したくないことを無意識に避ける

・緊張が続いて眠れない、集中できない

 

こうした反応は、心や身体が「もう二度と危険に遭わないように」と守っている証拠でもあります。

しかし、その仕組みが長い間続くと、日常生活の中でも常に警戒状態になり、疲れやすく、人間関係にも影響が出てきます。

これが、トラウマ反応やPTSD(心的外傷後ストレス障害)の基本的な仕組みです。

 

 

【PTSDとは】

PTSDは、事故・災害・暴力・いじめ・突然の喪失など、命の危険を感じるような出来事を体験したあとに、心と身体がその危険を「今も続いている」と感じてしまう状態です。

 

次のような反応が続くことで、日常生活が難しくなることがあります。

・過去の出来事が何度もよみがえる(フラッシュバック・悪夢など侵入)

・思い出すような場所や人、話題を避けたくなる(回避)

・常に緊張していたり、ちょっとした音にびくっとする(過覚醒)

・自分を責めたり、無力感や罪悪感にとらわれたり、感情が麻痺したように感じる(低覚醒・解離)

 

 

これらは、心が壊れたわけではなく、過去の危険を思い出させるものに対して、脳がまだ“生存モード”を続けている状態です。

 

【PTSDの一般的な診断基準(DSM-5)】

以下は、DSM-5(アメリカ精神医学会, 2013)による代表的な要件です。

 

A. 外傷体験-死や重傷、性的暴力などの出来事を直接体験、目撃、または他者を通じて知る。

B. 侵入症状-フラッシュバックや悪夢、外傷を思い出すような刺激への強い心理的・身体的反応

C. 回避症状-トラウマを思い出させる人・場所・話題・感情を避ける

D. 認知・感情の陰性変化-自己・他者・世界への否定的信念、恐怖・罪悪感・羞恥・疎外感、感情の鈍麻やポジティブな感情の減少

E. 覚醒・反応性の亢進-易怒性、過覚醒、集中困難、睡眠障害、過警戒など

 

 

【複雑性PTSD(Complex PTSD)とは】

PTSDが、一度の強い出来事から起こることが多いのに対して、複雑性PTSDは、長い間くり返し続いたストレスや、逃げられない状況の中で生じます。

 

たとえば

・子ども時代の虐待やネグレクト

・家庭内暴力(DV)

・いじめやハラスメント

・監禁的な支配関係

など、慢性的な苦痛の体験が背景にあります。

 

この状態は、アメリカの精神科医 ジュディス・ルイス・ハーマン が、著書『心的外傷と回復』の中で提案した概念です。

ハーマンは、「複雑性PTSD」は単なるストレス反応ではなく、人間関係・自己感覚・感情調整の領域に深く影響を与えるものだと述べています。

 

【複雑性PTSDにみられる特徴】

複雑性PTSDでは、以下のような特徴があらわれることがあります。

どれも“おかしいこと”ではなく、心が生き延びようとした結果として理解できます。

 

◆ 感情のコントロールが難しい

・急に涙が出たり、怒りが止まらなくなる

・感情がなくなったように感じる時がある

・自分でも理由がわからない不安やイライラ

 

◆ 自分を責めてしまう

・「自分が悪い」「自分なんて価値がない」と感じる

・恥や罪悪感に苦しむ

・幸せを感じることに罪悪感を持ってしまう

 

◆ 人間関係の難しさ

・人を信じるのが怖い

・親密になると距離を取りたくなる

・相手の気持ちを読みすぎて疲れる

・拒絶や見捨てられることへの強い恐怖

・いつの間にか“支配的な関係”に巻き込まれてしまう

 

◆ 身体や日常生活への影響

・強い緊張やだるさが続く

・睡眠や食欲の乱れ

・集中できない、ぼんやりする

・理由のわからない体の痛みや違和感

 

【複雑性PTSD(Complex PTSD, C-PTSD)】

ジュディス・ルイス・ハーマン(1992, Trauma and Recovery)が提唱。

■背景

戦争や災害など単発的なトラウマではなく、慢性的・反復的・逃れられない状況(虐待、DV、監禁、児童期のネグレクトなど)による被害体験を指す。これらの人々は、通常のPTSD診断では十分に説明できない広範な症状を呈する。

 

■ハーマンが提案した主な特徴領域

1. 情動調整の困難-怒り・恥・恐怖・絶望の制御困難、自己破壊行動や解離的エピソード

2. 自己概念の変容-無価値感、罪悪感、慢性的な恥、アイデンティティの混乱

3. 加害者との関係のゆがみ-加害者への同一化、依存、恐怖と愛情の混在

4. 対人関係の困難-信頼の欠如、孤立、親密さへの恐怖

5. 意味体系の変化-世界観の喪失、希望の欠如、霊的な空虚感

6. 身体化・解離症状-慢性疼痛、身体の麻痺感、離人感

 

 

【ICD-11における「複雑性PTSD」の正式定義(2018)】

ICD-11では、「PTSD」と「Complex PTSD」が明確に区別されています。

 

■PTSDの3主要群

・再体験

・回避

・脅威感の持続(過覚醒)

 

■C-PTSDでは、さらに3つの“自己組織化の障害”が加わる

1. 感情調整の困難

2. 否定的な自己概念

3. 人間関係の障害

 

【診断名を知らない人が日常で示す可能性のある症状や行動】

ここでは、臨床現場で見られる“自覚なしのC-PTSD的症状”を中心に、人間関係・仕事・自己との関係などに波及する現象。

 

◆感情・身体面

・感情の波が激しく、些細なことで涙が出る・怒りが爆発する

・何も感じない、心が麻痺しているような感覚

・頻繁な倦怠感、慢性的な緊張、睡眠障害

・強い罪悪感や「自分が悪い」という思い込み

・自己破壊的な衝動(過食、飲酒、自傷、過労)

・身体症状(頭痛、腹痛、動悸、めまいなど)に原因が見つからない

 

◆自己概念・アイデンティティ

・自分が誰なのかわからない感覚

・過去と現在の自分が断絶しているように感じる

・自分を責める思考が常に頭の中にある

・幸せになってはいけないという無意識の制限

・自己肯定感の低さと完璧主義が共存する

・他人の期待に合わせすぎて、感情がわからなくなる

 

◆人間関係の特徴

・相手をすぐに理想化 → 少しの失望で拒絶や絶望

・親密になると強い不安や逃避反応が出る

・相手の気分や態度に過敏に反応する

・見捨てられることへの強い恐怖

・境界線が曖昧で、他者に飲み込まれるような感覚

・依存と拒絶を繰り返す関係パターン

・表面的には社交的でも、深い信頼が築けない

・助けを求めることが怖く、限界まで我慢する

・無意識に“加害者的な人”を選びやすい

・無力感から他者の支配を受け入れてしまう

 

◆生活・仕事での現れ方

・強い緊張や不安から、完璧にやろうとしすぎる

・批判や失敗に極端に反応し、パニックや落ち込みに陥る

・遅刻・欠勤・人間関係の衝突が続く

・集中力が続かず、思考が“ぼやける”

・環境の変化に適応しづらい

・自分の欲求や意見を表現できない

・いつも他人の顔色を読んで疲弊する

 

◆内的世界・スピリチュアルな側面

・生きている意味がわからない感覚

・現実感の喪失(自分が透明になったような)

・過去の記憶に突然引き戻されるような体験

・空虚感と孤独が常にある

・無意識に“安全でない環境”を再現してしまう(再演)

 

診断を受けていなくても、長期的なストレス・トラウマ環境で育った人は、無自覚に“C-PTSD的な生きづらさ”を抱えていることが多いです。

それは単なる性格や甘えではなく、生存のための適応反応の名残でもあります。

 

 

【依存症との関係】

複雑性PTSDの方の中には、アルコール依存症・薬物依存症・自傷・買い物依存・仕事中毒などの形で苦しさを紛らわせてきた方も少なくありません。

これらは「意志の弱さ」ではなく、心の痛みをどうにか感じないようにするための、生き延びる工夫でもあります。

 

たとえば、

・飲酒で一時的に緊張や不安を和らげる

・食べる/食べないことで自分をコントロールしようとする

・過労や完璧主義で不安を打ち消そうとするといった行動は、不安や苦しさ、不全感を“人の力を借りずに何とかしようとする対処法”が習慣化したものです。

 

回復は、”過去を忘れる”ことではなく、その背景にある“安心できなかった体験”や“心の安全の欠如”に気づき、心身の安全感を少しずつ育みながら、自分の身体感覚や感情と仲良くなり、過去と現在を区別できるようになることです。

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